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               第39回「北海道南西沖地震から5年」
                 
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                  | 秋篠宮妃 クリックで拡大
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 Photo and essay * Photographer * JIMMY 工藤氏
 
                 
                  | 1998年7月4〜5日奥尻島に行きました、奥尻島は北海道最西端に位置し江差追分で有名な江差港からフェリーで約2時間のところに位置します。 
                    島の大きさは一周約84キロの大きさに4,250人が居住しています。 私がこの島に訪れるのは4回目になります、奥尻の海は「北の沖縄」とまで言われる島で、海は暖流と寒流がぶつかりあい、双方の魚種が観察できる豊かな海で、私が何度か足を運ぶ島のうちの一つです。 
 今回は被災後の海の様子をみたくなり行ってきましたが、被災の追悼式典がありましたので、様子をかいつまんでお知らせいたします。 
                    7月12日の被災から5年をむかえますが、この追悼式が、参院選投票日と重るため、今 年は7月5日に、秋篠宮ご夫妻をむかえ追悼式を致しました。 
                    秋篠宮さまは「震災の教訓を生かし、生きる喜びが実感できる島になることを願っています」とお言葉を述べました。
 
 私は5年前の7月12日に地震の様子を、沖縄の離島「座間味島」にいて朝食の時に見ていましたが、最初は奥尻島とは知らずに、他人事のように思っていたのです、報道番 
                    組を見、あとから来る情報を整理していくと、とんでもない数の犠牲者が出たことが判りました、死者・行方不明者計230名を数えました。
 
 子供の「ランドセル」がなんと道北の海まで流されていくほど強い津波があり、この時のスピードは「時速500キロ」津波の高さも「12m」強もありました。 
                    私は津波のある1週間前に家族を連れ、奥尻島の対岸側にある積丹半島の神恵内村の海岸でキャンプをしていたのです、この海岸も1週間後に大きな被害が出ていること 
                    を思うとぞっとしました。
 
 最大の被害を受けた青苗地区にはびっしりと古い家が立ち並ぶ住宅街でしたが、 全ての家が全壊その後焼失したようです。 現在は様変わりしほとんどが公園用地になり、4日に「奥尻鎮魂供養会姫神コンサート」が 
                    開かれました。
 
 「時空翔」と言う祈念慰霊碑が海を向いて建立されていて、幻想的な姿かたちに、少なからずとも、感動を禁じ得ませんでした。 
                    青苗岬からほんの10mのところに位置し、昭和6年に建立された高さ19mある「徳洋記念碑」が地震と津波にもかかわらず、立っていたのが印象的で、この慰霊碑は昭和天皇に関係があるようでした。
 
 奥尻と言えば港に着いて1番最初に見る観光名所「なべつる岩」が島を代表するくらい有名ですが、今は被災地として有名になってしまいましたが残念なことですね。 
                    このなべつる岩は地震と風化にさらされたので現在補修中で、足場用のパイプが組まれ全身創痍の整形外科の術で「装外固定」のように思いました。 
                    早いうちに修繕が終わるといいですね。
 
 観光のお問い合わせ
 奥尻町観光交通課
 〒043−1401 奥尻郡奥尻町字奥尻
 電話 01397−2−2351
 
 続く...........。
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